精磁会社とは?
 

明治8(1875)年、翌年開かれる米国建国100周年記念フィラデルフィア万国博覧会に出品するため、深川栄佐衛門、手塚亀之助、辻常明、深海墨之助らにより、合本組織「香蘭社」が設立されました。

明治9(1876)年の同博覧会で大成功を収めた香蘭社でしたが、美術品や日用食器の製造販売に対して考え方の違いから2つに分裂します。

こうして香蘭社から分離独立した手塚、辻、深海は、欧州で陶磁器製造技術を習得してきた川原忠次郎を加え、明治12(1879)年に「精磁会社」を設立しました。「精」という字には「こころ」「たましい」の意味もあり、精妙で魂のこもった物作りを目指す心意気が伝わってきます。その後、政府の補助金をうけ、最新鋭のフランス式工場設備によって陶磁器の生産を始めます。

高級日用洋食器の開発と先進製陶機械の導入など「精磁会社」の挑戦は、まさに卓越した伝統技術と最先端の近代技術の融合でした。

古伊万里でも、鍋島でも、柿右衛門でもない独自の世界を紡いだ「精磁会社」の様式美の頂点が皇室の御用食器であり、鹿鳴館の饗宴の器でした。しかし、西洋列強諸国を陶磁器文化で凌駕せんと夢見た壮図は僅か10余年で儚くも消滅してしまいました。

鹿鳴館で使われた有田焼の器

 
明治16(1883)年11月28日、東京麹町山下町(現在の千代田区内幸町)に、西洋社交クラブ「鹿鳴館」がオープンしました。 この鹿鳴館は井上馨(外務卿)が強力に押し進めたもので、関税や治外法権など数々の問題を抱えた当時の不平等条約を改正すべく「西洋の日本蔑視を改めさせるには、日本の文化が西洋並みに高いことを示威する必要がある」と、対外的に背伸びした一連の欧化主義の象徴的な存在だったのです。

設計はイギリス人の建築家「ジョサイア・コンドル」。レンガ造りの2階建てで、イタリアルネッサンス風に英国風を加味した、まさに西洋を意識したデザインでした。

ボストンフレンチ商会の指導により「精磁会社」が開発した日本初のディナーセットは鹿鳴館の饗宴にも供せられ、海外からの貴人顕官の食卓を彩り、わが国を代表する陶磁器として内外に喧伝しました。西洋列強に誇れる数少ない国産品として一級のものであり、必要不可欠の一大脇役を演じたのでした。

 
7

色絵菊紅葉文珈琲碗皿
個人蔵
8

色絵児島高徳と桜樹文皿
径22.8cm
個人蔵
9

染錦菊花地紋割唐草文洋皿
径24.8cm
個人蔵
     
10

色絵陣幕文楕円皿
長60.4cm・高6cm
個人蔵
11

色絵陣幕文バター入れ
長17.6cm・高11cm
個人蔵
12

色絵瓶陣幕文鉢
長23cm・高11.5cm
個人蔵
 
写真は全て精磁会社製
   
 
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